燃えてますね。
そもそも表に出てる情報が限られているという意味でも仔細は知りませんし、興味もありません。
さてはて、前回語ったように人生の裏二周目を目前にして未踏の文系学問に足を突っ込むために”知の技法”を読んでいます。理系の時分に”ゲーデル、エッシャー、バッハ”とか”The Road to Reality”を読んでいた時を想起しつつ、道を歩むための下準備をすることへの楽しさとかときめきを久々に噛めしめつつ──
──つつ、……何の話をしようとしたんでしたっけ。
ああ、思い出しました。
架空のストーリーを考えてみましょう。
貴方は固定活動のリーダーです。
普段の活動は何事もなくできているように”見受けられて”います。それなりの進捗、和気藹々としたVC。
毎日楽しく遊べているように貴方は思えてますし、回りもそう思っているように”見えます”。
ある日、固定メンバーの1人がSNSで固定活動についての愚痴を書いていることをメンバーが目撃しました。
それが悶着の種として燃え上がります。他7人からの追求やら叱責やらに発展して、固定としては愚痴ったメンバーを追放することで始末をつけました。
その後、追放されたメンバーはSNSで”自身の立場として”の騒動をつらつらと投稿し始めました。
それを見た外部の面々が”〇〇が悪い”だのなんだの思うがままに言いたいことを言い始めます。
貴方は固定のリーダーとしての立場と実際に何があったのかを”説明しないといけないような責任を感じて”SNSで反論を行います。
結果として軍配がどちらに上がったのか、追放されたメンバーがハラキリを決めたのか、それはまぁどちらでもよいことです。燃え上がった愚か者どもの祭りが終わった後に残ったのは果てしない徒労感だけでした。
はい。どうでしょうか。
あくまで架空のストーリーとして書きましたが、似た話が流れてきたことを見たことがある人もいるでしょう。
その個々の事例に関する善悪や正否についてはここではどうでもいいことです。
そこから何を学べるのか、という観点で色々考えてみましょう。
不満の元凶はなんだったのか
組織内活動での不満の要因はあまりにも多岐に渡るので高々イチ雑記にすぎないここで多くを語ることはしません。しかしこと14の固定活動に限定すると、メンバー間の認識の違いが不満として表面化することが多いように思えます。
凄まじく分かりやすい例としては”22時開始”は”22時にコンテンツに入ること”なのか、”22時にVCに入ってそこからログインすること”なのか、とかです。
これらは固定のルールを適切に定義していればその大半が回避できる問題です。
組織運営はどうだったのか
固定内の問題を固定外に持ち込むのはどうなのいうのは尤もですが、”追放された者が適切な提言や抗議を行ったにも関わらず、他7人にないがしろにされた”という理由でその鬱憤を外部に吐露する人もいること自体は同意はしませんが理解はできます。
であるならば、各々のメンバーが気兼ねなく発言ができるための心理的安全性を確保すること、また提起された議題に対して議論ができる体制を整備しておくことも重要です。
議論ができる面子だったのか
議論には知性が必要です。読者はできる前提で語ってますが、できなければ誰が相手でも議論ができるはずがありません。後は他の面々が議論ができるかを普段の発言や振る舞いから推し量ることも重要です。なおトークスキルがあることと折衝能力があることは全く違います。
“組織内での問題は組織内で決着をつける”には高い折衝能力が必要です。そのスコープへの理解もなければ議論する力もない者がもし組織内にいれば、組織を適切に整備したとしても先述のように”組織内でだんまりで、組織外でうだうだ喋って悶着に発展する”ことも相変わらず十分に起こり得ます。腐った林檎に必要なのは、元々組織に入れないこと、次いで廃棄です。それ以外に何もありません。愚か者に対して必要なのは慈悲ではなく、処刑刀なのです。
纏めます。固定活動を円滑に行うには
・組織としての適切なルール制定を行う
・心理的安全性が確保され、建設的な話ができる風土を作る
->組織理論を学びましょう。組織理論です。本屋の入り口に山程積んである”本の売れた数こそが正義だ”と言わんばかりのエンターテイメントとしては楽しいだけの組織論ではありません。絢文社の非営利と営利の組織理論が触りとしてはおすすめです。
・折衝できる知性を備える
->何度も再掲しますが、花書院の議論法―探求と弁論を理解すればとりあえずいいです。必読です。
・折衝できる知性を備える者を集める
->これが一番難しいです。ご存知の通り99に準ずる絶対値を出せない丁寧じゃないプレイヤーが大多数を占めるという悲しい事実があるように、現実でも丁寧な知性を有している者のほうが遥かに少ないです。議論法を読んでいるのが前提とでもすればいいんでしょうけど、どう考えても8人集まらないでしょう。面接を滅茶苦茶上手くやりましょう。それしかないです。
はい。これが私の亡者への手向け、挽歌です。
力がなければこうなることもある。だから力がいる。それだけです。