久々にCiv6をやりました。これがまー面白くないわけです。
“ストラテジー”を冠するゲームはその根幹に2つの要素を内包しています。”Control”か”Decision”かです。
Controlとは管理/統制することを指します。
分かりやすいゲーム例としてはBanishedとそのクローン達、コロニーシミュレーションの多くがControlをゲーム性の核に置いています。人的資源を増やし、役割を持たせ、維持する。そこに物流導線やら資源トレードやら様々な要素が重なってくるわけですが、根幹を担うのは”リソース(人)を管理する”というたった1点の要素です。
一方でDecisionこと意思決定は……Rule the Waveを例にしましょう。
このゲームのいいところは、貴方が国家元首ではなく一介の海軍の司令官でしかないことです。つまり選択した国の海軍をひとえに掌握はしていますが、国の運営にまでは首を突っ込むことはできません。開戦や和平の自由も、です。
なので
“海軍を増強する予算を得るが、周辺国との緊張が高まる。自身の権威も増す”
or
“国内の内政増強のため予算を削る。周辺国との緊張が減る。自身の権威も減る”
といった選択を迫られたりします。
この選択のどちらがいいかは状況次第です。直近で戦争を予定しているのであれば予算を増すほうが良いと考えられますが、長期的な国内の経済力を増すためには一時的にでも海軍の予算を削ったほうがいいわけです。一方で自身の権威が下がりすぎると海軍総司令官としての立場を追われかねない……などなど、リスクとリターンを天秤にかける決断を迫られるものこそがまさしく意思決定を基幹とするゲームの特徴です。
1つ注意しておくべきなのは、”支配戦略を探し出すのは意思決定ではない”ということです。
以下の3つの選択肢があるとしましょう。
1 : 1ゴールドもらえる
2 : 3ゴールドもらえる
3 : 5ゴールドもらえる
アホほど単純な例ですが、この選択肢では3を選ぶのが最も良く、1,2は選択する理由がありません。このような特定の決断が他の決断の完全上位互換であることを”支配戦略”といいます。
重ねて言いますが”支配戦略を探し出すこと”は意思決定ではありません。大量の選択肢から最も強い択を見つけ出してそれを擦り続ければ勝てるゲームというのは、意思決定するゲームではないのです。
ようやくCiv6の話です。
Civ6が何するゲームかと言うと、ControlするゲームでありDecisionするゲームではない、の一言につきます。
ひとつ。自国内政がスケーリングしすぎです。開拓者を出して国を拡張するのはいつも通りですが、区画が隣接ボーナスやら研究や政策やらでとてつもない出力を叩き出すようになります。それに自然遺産や災害を適切に合わせることで”Dotaかよ”と言いたくなるぐらい雪だるまがデカくなっていきます。
ふたつ。敵がアホすぎます。自国がスケーリングするのと同様に敵もスケーリングするのであればまだ対等な出力を基にした意思決定ができる可能性があったのでしょうけれども、敵はCiv6の内政を理解していません。
この2つが噛み合ってどうなるかと言うと、大して意思決定する必要もなく、開始してそれなりに探索が終わったら都市出しと区画の配置を考え、後はシコり倒してパワースパイクの全盛で全てをブチのめす”超時空シムシティ”という有様になっているのです。
本来Civの高難易度というのは”自国内政を完璧にしてもなお敵のほうが強く、諜報や外交、戦争を駆使して盤面をひっくり返さなければならない”というバランスになっていました。それでこそ意思決定の妙を問われる楽しさを享受できるわけですが、6はそうはなっていないのです。
何故このような設計になったのかは推測の域を出ません。しかしどうにも私にはこう思えてなりません。
“ああ、開発は良いストラテジーじゃなく、売れるストラテジーを作りたかったんだな”、と。
リスクとリターンの天秤を揺らす意思決定というのは、どうにもシムシティより忌避されがちです。RTSで散々見ましたよ。延々シコってるだけの仕様もないストラテジーの意味も分からない人達を。
しかしゲームというのは売れなければいけないので、より多くの人の嗜好に合うものを作るのが売上を出すという観点では正しいわけです。結果として……文明・指導者や区画、総督など無駄に複雑だが、実際は森の中から支配戦略を見つけ出すだけの意思決定の介在しないゲーム、というのがCiv6の姿に見えます。
結果としてSteamでは売れてますし評価もいいですしね。Firaxisの高笑いが聞こえてくるようです。
ま、Civを初めて触る人にはいいんじゃないでしょうか。
私はこれをストラテジーとは決して思わないですけれども。