下書きに対する本番の線を”本線”というのか”本番線”というのか何というのかさっぱりだが、ようやっとまともに線を引いてみようと思った。
で、思ったこと。
・筆圧に応じた線の強弱がどうにも取りにくい
機材が安物だからか分からないが、線の強弱を筆圧で表現し辛い。
顔の輪郭や特に髪はそうだろうが、筆圧に応じて太さが変わったほうが恐らくもっと強弱の幅が広がる。それは硬さというか柔らかさというか分からないが、強調したい所を太く、そうでないところは細く描きたいがその択が今の所ない。
・細いGペンは神
一方で目の輪郭ぐらい細さと太さのコントラストが明確であれば、”ほっそいGペンで外殻を描いてから、中を塗りつぶせばよい”という知見を得た。一方で塗りつぶしがWindows95のペイントでの挙動と同じと思いきやそうでもないらしい。てっきり”指定箇所から同色の閉包範囲を指定した色で塗りつぶす”という挙動にはならないらしい。変に隙間ができるし、そもそも隣接した別の色との間に若干の空白が生じる。なんなんだ。
この細いGペンを用いた線の強弱は極めて細かい描画ができるようだが、流石にこれで顔の輪郭や髪を描く気にはならない。学者の妖精位置調整ぐらい細かくて大変だ。
・”遊び”がどこまで許容されるのかという命題がある
本番線というのは……特に二次元絵であれば個人的に”下書きにあった脳内で補完するための遊びの線の一切を排する”ものだと思っていたが、ことそうでもないように思える。色を塗ったりした際にどうなるかは完全に未知の領域だが、全ての線を”視える通りに完璧に引く”のではなく、意図的に隣に繋げない空白を生じさせたり、下書きにある遊びの線をそのまま描いてもそれはそれで1つの表現の択として有用なのではないかとも思った。いや、これは完成形まで仕上げてその差分を見ないと分からないが、考慮に値する内容のように思える。
今の所クソ真面目本番線を描いていて感じたのは”精神修行”と”瞑想”の2つである。
雑すぎる下書きを描くのも結構だが、こういう方面も経験を積まなければいけないな。やるべきことは尽きない。”合気道を何年でマスターできますかと問う生徒に掛ける言葉は1つしかない。『自分が何歳まで生きられると思うかね?』”とは……誰の言葉だったかな。