フレンドの配信の力を借りてようやく黄金のストーリーを見終わった。
その上で色々な感想を見てみたが、その中では無難な
“ウクラマト合わねえ” とか
“ヤベー女を出すな” とか
そういう粒度の話は共感できれど、多少突っ込んだ話に対してはちんぷんかんぷんである自分がいることに気づいた。脚本がどうのこうのという専門知識がいる話もさることながら、アリゼーの性格がどうのこうのといった、キャラクターの突っ込んだ話を見た時が最もそう実感せざるを得なかった。
アリゼーの性格……どんなんだったっけな。っていう。
14のメインストーリーは兎にも角にも長い。
それはWoWでの英雄でもなんでもない本来の意味での冒険者としてのメインクエにあたる導線、旅そのものの表現としての各地の文化を知りつつ歩き回るという行為が無策のままプレイヤーが英雄の立ち位置の14にガッチャンコされたために無駄に間延びしているという側面が強いと個人的には感じている。一面の小麦畑で害獣を駆除したり、死者を鎮魂するために謎の太鼓を渡されて亡霊を追いかけ回しながら太鼓を叩きまくったりするのは、”ただの旅人が旅先で小銭稼ぎをする”からこそ味わいがあるのであって、それを14でやるとどうなるのか、その極致が新生の珍味であることは疑いようもないだろうし、その他にも”世界を救った英雄がすることじゃねえ”と思うようなクエストが”何故かメインクエ中に多々発生する”のはご周知の通りだろう。
衣だけがやたら分厚い天ぷらみたいなメインクエにするのはボリューム感を無理くり増すという意味が強いのだろうが、その激薄カルピスを垂れ流すという文化が結局どれだけ拡張が進んでも継続されているという現実があるように思える。要は長い。マジで長い。長すぎると言いたいだけなのだが。
そして私だけかもしれないが、長い上に期間も空いた上で拡張が続いていくと、昔のことを忘れてしまうのだ。
なので細かいキャラクターの性格に違和感を持つとか、昔と比較して今作はどうかとか言っている人を見ると素直に関心する。この令和のドフトエフスキーは私には重すぎる。チューリングテストにかけると”貴方は機械です”と断定されそうな”皆の笑顔を護りたいBot”は放っておいて、装い新たに絵筆を携えた”粗チンを気にしてるの?私には丁度いいね♡”と言ってくれそう(言ってくれない)なお姉さんキャラを眼前にして、”ええと……イディルシャイア前後で初めてお会いしましたよね。暁月はシャーレアンだからよく会ってましたけど……紅蓮とかどうしてましたっけ”と私のような老体は聞かざるを得ないのだ。
そういう事情もあり、時たま”ストーリーの全体をちゃんと振り返ってみたいなぁ”と思うことがある。のだが、別の問題点がある。14はメインクエだけをなぞって話が完結するようにできていないのだ。“クリタワをやっていないと漆黒で意味不明になる”という問題に突き当たったのは記憶に新しい。いや、メインクエだけで完結してもらわないとストーリーをどうなぞればいいのか複雑怪奇になりやすいんよ。色々完走した後にNバハをやって”兄妹、君ら何やってんの?w”と言いたくなるように。この辺の問題、後追いの人たちはどうしているのか非常に気になるが、自分がストーリーを追体験しようとした時も手を止めざるを得ないのだ。どのクエをどの順番でやればいいんだ?と。
そういう問題もあり、つよくてニューゲームを叩けないというのが現状だ。
いやまぁ、根本の問題は長い、の一言に尽きるわけだが。
これを書きながら、会話が全てテキストベタ貼りだったTES3の先見の明を今にして痛感している。TES4やTES5と比較しても古臭すぎる表現形式だが、圧倒的に後追いしやすいという特徴がそこにはあるからだ。Wikiを見れば全ダイアログを参照することができる。あまりにも画期的すぎる。
ということで、ストーリーを振り返るタイミングは来るのだろうか。というだけの話だ。
Tony垢でも進めるかねぇ……。