なんか変わった質問が来たので。
皆さんマインスイーパーをやったことはあるだろうか。
そう、適当に開いたところ(初手爆発は略)からロジックを積み重ねていって全ての爆弾の位置を明らかにするアレだ。マインスイーパーの興味深いところは”理詰めで詰めて詰めてニブイチの運ゲーになることもある”ということだ。マインスイーパーの場合それが偏った確率になることもあれば、純然たる二分の一になる運ゲーになることも有り得るわけだが、私個人としては、その最後の辿りつく所が意思決定に依存するものを優れたゲームだと考えている。
つまり、“理詰めで詰めて詰めて丁寧に詰めて詰めて、最後に残った意思決定が美しいゲームこそが、いいゲームだ”と個人的には考えている。
これは一方で、”理詰めができない者はゲームの深奥の一端にも辿り着けない”という主張でもある。
FF14くんだりだけで見ても木人すら壊せないものがどれだけいることか。ましてや”他人の理”を横流ししているだけの者も理詰めができるとは到底言い難いだろう。
で、来た質問が”理詰めのやり方”についてのものだった。
んなもん論理学でも勉強しろとでも言いたいところだが、1つ考えるために簡便で有益なヒントを思いついたので丸々引用することにしよう。このアールエフシーだ。
これが何かというと、我々がスマホやらPCでネットワークを使えている根幹を為す技術仕様であり、そのうちの1つとして技術仕様群の中で出てくる”程度”を示す用語の定義をしている文章である。
これらの区別を意識することは有用だろうというのが本稿の主題である。
アホ程分かりやすい例として”GCDを止めるな”という言葉について考えよう。
一般的にはこれは「しなければならない(MUST)」と捉える人が多いだろう。
しかし熟達した人間であればこれは「する必要がある(SHOULD)」であることが分かっているはずだ。戦闘時間によって、或いはシナジー合わせの限定的な状況ではわざと噛んでまで3アビとするべく局面が存在するし、ことヒーラーであればMPを確保するために敢えて手を止めなければならない場面もある。特に後者はできないヒーラーが体感かなり多いように感じる。そういったプレイヤーは必要な時に必要なMPを捻出できずに立て直せず、より先を見れたはずの戦闘でただワイプしたことに対して何も感じることはないだろう。”GCDを止めるな”がMUSTであるという盲信がある者はそれが正しく理詰めをできていないことに気づくはずがない。
もう1つ分かりやすい、というか当たり前のように見える例として“生きれる状況で、死ぬな”というものがある。これは一般的にはMUSTと考えてもいいだろう。わざわざ”生きれる状況”とあるのは、フェニックスの演出が絡むような死ぬことが強要される場面を除外するためだ。言ってることは”無駄死にするな”、それはつまり”ミスるな”という意味になるわけだが、しかしこれにすら例外というものは存在する。ヒラLB3が確定で絡む状況で暗黒がわざと死んでMPを補給することや、(私は見たことがないが)ヒラのMPを補充するために死ぬべき状況もあるかもしれない。
ではこれもSHOULDに分類されるかというと、アールエフシーを実際に見てみると”◯◯を除外してMUSTだ”という記述も存在する。
この書き方とSHOULDをどう使い分けるかは個人の裁量次第なのだろうが、”それ以外の例外が存在しない”ことが明らかである場合は”◯◯を除外してMUST”、他にも色々有り得そうな場合はSHOULDを使うような使い分けをするのが有用だろう。”GCDを止めるな”という話は加速度爆弾にも適用されるし他にも色々状況は考えられそうだからSHOULDとして、”死ぬな”という話は“ヒラLBが有用な状況を例外としてMUST”としていいように個人的には思える。
ここで”死ぬな”を“ヒラLBでMPを確保する状況を例外としてMUST”としてはいけないことには留意が必要だ。この2つは明確に違うものだ。
個人の経験を語ろう。サブキャラで再生編2層の7人半固定とおぼしき消化PTに入った時の話だ。どうやら初クリア後の最初の消化だったのか、動きがおぼつかずに終盤のアンブリファイアが何度試しても超えられない。火力は十分に足りていたので私はこんな提言をした。“アンブリファイアでわざと外周死するので、蘇生を入れてください。アンブリファイア後にヒラLBで起こすのでタンクだけでもいいので耐えててください”、と。
このような提言ができたのは、再生2層が
・落下系外周でなく即死外周のためデスから蘇生までがレスポンスよく行えること
・再生2層はギミックミス = 全体大ダメージのようなワイプ判定が早く行われるタイプのものではなく、死の宣告スタックが5溜まったら不可避の死の宣告が付与される = ワイプ判定が遅く蘇生されてからヒラLBで立て直す猶予が十分にある
という特徴を持っているためだった。
結果としてその立て直しを完遂して消化を終わらせた。取りぬけだったのだが最後の手の箱は私以外誰もロットせず、30ナンボだかで取得することができて驚いたことを今でもよく覚えている。私がお土産なしなのを不憫に思った者達からのはなむけだったのだろう。
閑話休題。つまり”立て直しのためにはわざと死ぬべき状況もある”ことを知っている人間であれば、わざと死ぬことがMP確保のためだけではないことが分かるのだ。結局そういった細かい論理の粒度を考えるには知性が必要だというだけの話なわけだが、何を基準に考えればいいのか頭がこんがらがった場合は、ニーイチイチキューの1~5をベースに考えれば着目すべき点がクリアになる。私は何をするべきなのか?それはMUSTなのか、SHOULDなのか、あるいはMAYなのか?を考えるとより焦点を絞りやすくなるだろう。