MENU

RS

やれやれ、キッズのRSウィルスとやらが感染ってしばらくかったるい人生を送っていた。

多少はよくなったのでたまには雑文を……キッズが二人生まれてから可処分所得への考え方が変わった話でもしよう。要はあらゆる面で自分のための支出が減った。別に強制されているわけではなく自然とそうなっているわけだが、例えば高い飯を食う欲がもうそんなにない。未踏の何かならともかく”知ってる味を再確認する必要もないわな……”という発想になっている。

これは趣味にも波及した。そもそも最近はやりたいゲームもないというか、EU5までは冬眠状態なのもあるだろうが、まともにゲームをやっていない。ゲームも大概コスパのいい趣味なわけだが、もっと安価で死ぬまで暇つぶしができる趣味にシフトしている。というかその存在を思い出した。数学って言う趣味なんだが。

昔話をしよう。諸般の事情で私は情報工学専攻の身でありながら、柏キャンパスによく顔を出していた。柏は(基本的には)学部生のいない院生以上のたまり場なわけで、ともすればそこにいるのはある種の狭き門を通り抜けたエリートだけだ。だが、東の大学のこと理系ともなれば、多くの者は特段意識することもなく、あたかも息を吸うかのごとく自然と院へと進む。ようやくそこの住人が一つの壁を意識することになるのが、修士で終わるか、博士から続く終わりのない道を歩むか、という選択が間近に迫るM1後期だ。

それはひとえに”己の知性ひとつで飯を食えるかどうか”というのを同輩やポスドク、准教授や教授の背中を見て決めるわけだが、恩師から拝聴した面白い話を紹介しよう。

「自分が植物状態になったとする。ああ、一般的な植物状態とは少し違うもので、世界とは最早一切のやり取りができず、五感の一切が効かないが頭脳だけは明晰であるような状態とする。自分がいつ死ぬかすら定かではない。そういった状態でもなお人生を楽しめるものだけが研究者となる資格がある」

凄い話だ。言わんとすることは容易に理解はできるが、こちとら俺だけに優しくてカワボでおっぺえがでかくて俺よりも強いヒーラーとロフトでセックスしたいと思っている手合である。これを聞いて無事に私は修士卒となった。

なおその恩師は50半ばで逝去した。死因は過労死である。

東の大学に対する知る人ぞ知る認識としては、よく人が死ぬ。なんか悟りを開いた奴が写像し始めることは当然として、どっかのノーベル賞取った研究室は毎年死人が出てそれが当然の風物詩のようになっていた。そしてそれは別に学生に限ったことではない。恩師は自宅の自室で机に突っ伏すように亡くなっていたそうだ。立場的に誰かから、あるいはノルマに強いられるようにそうなったわけがない。毎日3食食べて8時間睡眠とるような健康的な生活をすることが長期的に見て研究のパフォーマンスも良い……とかそんなもんどうでもいいから、とでも言わんばかりの死に様であり、根本的に死生観が違った人だったと今にして思う。独り身として、ただ貫くような生涯を送った者。

冒頭で可処分所得の話をしたが、同様に可処分時間も減っている。だが先の恩師の話を思い出せば大して精神的な疲労もない。植物状態に比べれば屁でもなかろうて。しかし、そんな最中でも恩師のような高みに近づくことはできる。時間がなかろうと、金がなかろうと(制限しようと)、頭の中でユートピアを組み上げることに至上の喜びを見いだせなくても、その片鱗は掴める。

ということで、数学はいい。まず少なからず己の手を動かさなくてはならない。つまり横流しで人生生きたつもりになっているような奴の立つ瀬はない。問題を写した手帳とペンさえあればどこでも暇つぶしができ、そこには一切のノイズがない。そして暇つぶしとしてのスパンが素晴らしい。どこかの、それこそ東の大学の数学科の誰かが著作で言っていた記憶があるが、”1行咀嚼するのに数時間とか数日かかるのはザラ”というのは極々一部の天才を除けば真だろう。無論私もそうだ。

で、何読んでんの?という話なのだが、そこに関してもキッズができたことで違う視点が生まれたことに言説しておきたい。例えばただの自分の暇つぶしであれば、情報工学におけるTAOCP的な”知ってて当たり前体操”の教養数学枠である(はずの)、某ヒルベルトに師事していたという凄すぎるパワーワードが冠につく著者の解析概論ぐらいがまず学びなおしの最初としては妥当だろうかという話になるだろうが、まっさらなキッズがこれ読んだ時にどう思うのかという観点も踏まえながら本を読んでいる、あるいは手を動かしている。

分かりやすい例として動画を横流ししよう。最近はようつべでも質がいい動画が多くて羨ましい限り。

大変分かりやすい。こと無限という概念は(恐らく今でも)学校では高校から出てくるものだが、それが大学の壁を超えた途端に変容するのは皆様知っての通り。こうしたギャップに対する言及があるキッズ向けの丁寧なものがねーかなぁとか思いながらも、いきなりこんなもん分かるわけねーよなぁと”良い塩梅”がどこにあるのか、それを示しているものがあるのか、最悪自分で示す必要があるのかということを考えている。例えば中学生向けにはちょうどいいだろう数学読本の開幕にも超実数の言及はない。いやまぁあるはずがないのだが、その際に”そういうものがあるけど今は無視しろ”という話をしたほうがいいのかどうかという別の問題があるのだと、子を持って初めて考えるようになった。

ということで近頃は改めて数学をやっているというだけの小咄だった。
取ってつけたように14の話をするが、ボス座標発生の扇範囲タン強がヒラDPSに飛んだ際に、ボスをナントカとしてprepareでxにいて発現で-xにいりゃ躱せるのに試そうともしない奴しかいないのをなんて揶揄すれば面白いかをしばらく考えていたが、“お前、ε-δ知らんの?w”が丁度良い気がしている。

あとものすごくどうでもいいが、当然のように何の前置きもなく自然数を0から始める者は信用できる。