備忘。
■マネーゲームの遊技場
ニセコのパークハイアットレジデンス。個別温泉付きのやつ。
正確に表現すると香港の富豪が建ててハイアットに管理させてるやつ。
昨今バブルだかでよく話題になるニセコだが、その真価は北海道新幹線が延伸してから。
つまりあと10年以上我々は真のマネーゲームリゾートの姿を見ることはかなわない。
オフシーズンは日本人が多い。温泉は誰もいない貸し切りのものが至上である。
北海道は空が高く、広い。本土はこの時期は空気が悪く果てが見えない。
真の上等な宿泊地を見る時は空の花瓶を見る。泊まる者が花を生ける感性を持っていることが当然とされる世界線。
■愛されし者
そんな1000億だかかかっているリゾート地の中で”唯一”テナントとして入っているところがある。
結局は香港の富豪に気に入られているからそうなったのだが、やはり只者ではない。
食べログなんかを見ると常連びいきがすぎて一見への対応がひどいといった酷評も多い。これを当たり前だろうと思う感性があるかで一線を超えている者かどうか分かるのだろうか。
私もそうだが、上昇志向が強いと自負するのであれば、自分より弱い者のことなどどうでもいい。力のある者を選別して繋がりをつくる。ホスピタリティが万人に与えられるべきと思うのであれば、おめでとう、AIの出番だ。
つまり”そういった”ところには金以上に求められるものがある。”お前は一体何のカードを出せるんだ?”ということを互いに知らしめることが望まれる場がこの世にはある。
■天秤の振れ
14でジョブバッジ並べて”結婚しました”という報告は絶えない。
羨ましいことだ。だが同時に理性はありえないことだと告げる。それは私の理念とは反するからだ。
私はパートナーは”自身の対極にいる”ほうが望ましいと考えている。ゲームをする者は私の隣にはいらない。それは私の領分であり、あなたの領分ではない。あなたは私が持ち得ない領分を持つべきだ。
不適切なぐらい雑に書くと、こちらは理系の血族で、向こうは文系の血族だ。
先述した理念があるためそれはそれで特段問題ないし、好ましいと思っていた。だが子どもはどうなる、という議題が挙がりふむ、と思った。思っただけなのだが。
育ちのよい文系たちは子どもの年齢も加味しているからかは分からないが、小学校から高校までの話、塾やら受験やらがどうたらという話を好む傾向にある。私の認識ではどうでもいい領分なので興味深かった。小中高なんぞせいぜい社会規範を学ぶ場であり”学問”を学ぶのであれば大学しかない。無論小中高でも”学問”を教える偉大な者はいるだろうが、多くはないだろう。
で、小中高がなんだって?こと東京という選択肢が多すぎる地の者であるからこそそういう話題が挙がるのだろうか。知性という領分での子どもの教育については私に一任されているが、当然というか変な横槍が入ることもままある。英語を学ぶためのおもちゃを買ってきたりとか、だ。これの何が悪いか分からない者とは生涯分かりあえない。
親が子どもに何を望むか?”幸せであること”。幸せであることとは何か?”望む人生を歩めること”。であれば力の移譲が親の責務である。その”力”の認識が人によって異なる。私にはそれは”孤高の内省力”であり、別の者からは”社会強者達の連帯”となる。だからガッコウというものに対しての見方が根本的に異なる。
羊蹄山を見て何を思った?詩的情緒か?金の成る土地の匂いか?血を継ぐ者よ、お前はどちらに転ぶのだろうな。