最近、ゲームの開発者とプレイヤーの関係性は、政治体制のように表せるのではないかと考えている。
帝政
例としてブリザードのOverwatch2を挙げよう。
言うまでもない多対多のヒーローシューターとしては他の追随を許さないタイトルだが、Steamの評判は見ての通りだ。不評レビューの内容は初狩りされたとか、味方が悪くて勝てないとかいう愚痴が大半だが、開発者はそんな声に耳を傾けることはない。そもそも5対5の少人数(寄り)のPvPであれば個人の責任が増すのは当然であり、頭ライトちゃんは責任が薄い16vs16やら32vs32の大規模シューターでもやってろと言わんばかりに放置し、結果として上述した画像のように悪評が積み重なるばかりだが、開発陣はビクともしない。まさに帝政だ。
しかし悪評がどれだけ積み重なったところで、依然としてOverwatch2は多くのアクティブユーザを抱えている。Steam経由で遊んでいる人口分布だけを見るとむしろ右肩上がりだ。文句なく”成功している”と見做してよいゲームだろう。
こういった多数派の声に耳を傾けずに確固とした己の設計理念を基に調整を続けるゲームが上手くいくのは、開発者の設計能力が十分に長けている場合に限るだろう。これは現実の帝政でも変わらない。有能な君主であれば国は富み、愚昧であれば廃れる。ただそれだけだ。
法のある民主主義
まぁ大多数のゲームは帝政じゃないのかという話なのだが、極めて稀な例外としてちゃんと法を整備した民主主義を取り入れているゲームを紹介しよう。CCP提供のEVE Onlineだ。
EVE OnlineにはCouncil of Stellar Managementという制度がある。さしずめ”星系管理委員会”とでも訳するべきだろうか。この制度はプレイヤーが委員会員に立候補し、プレイヤーによる投票によって上位の何名かが選出される、現実の選挙と同等のシステムである。
そして重要なのは、委員会員が開発への提言をする権限を持つことだ。つまりこれは多数派のプレイヤーの意見を、委員会員を通して開発へ直談判することができることを指す。
ものすごく簡単に言うと”1対1のPvPをもっと充実させます!”と語る候補者もいれば、一方で”PvEをもっと充実させます!”と語る候補者がいたとして、各プレイヤーはどちらに投票するかを選択する自由がある。より投票数が多い多数派が当選することでその者の公約の方向性にゲームの舵が切られるので、民主主義によって全てのプレイヤーがゲームの調整方針や今後のコンテンツの方向性に加担することができるという制度である。
素晴らしい制度だと個人的に思うが、このシステムを創るのは容易いことではないだろう。実際に法のある民主主義を整備し、運用できているゲームは私はEVE Onlineしか知らない。
法なき民主主義
一方で法なき民主主義とも言うべきゲームも存在する。代表例はそう、FF14だ。
法整備をするだけのノウハウや技術力もなく、帝政をするほど開発が聡明ではないゲームはFF14のみならず少なからず散見される。そういったゲームにありがちなのは、”コミュニティ(プレイヤー)の意見を尊重します”というユーザフレンドリーな姿勢を出しつつも、実際にどんな意見を反映させるかは開発の気分次第、或いはとりあえずデカい声を反映させる方針を採用するということだ。
特にそのゲームのコミュニティ規模が大きくなればなるほど後者が採用されがちのように私には見て取れる。プレイヤーが多くなればなるにつれて色んな声が上がるのは当然なことで、全てに目を通すことができなくなるほどプレイヤー数が増えて開発のリソースの限界を超えてしまえば、開発は最も燃えている火に着目せざるを得なくなるだろう。
このような開発とコミュニティの関係性は、幾つかの”危険な状況”に発展する可能性を孕んでいる。
①水面下でのロビー活動が強大な影響力を持つに至る可能性がある
“よりクソデカい火を焚いた奴の意見が通る”ということに気づく者が増えれば、あるいはそれによって実際にゲームの方向性が変化するという前例が出来てしまえば(FF14に関しては前例はいくらでもある)、より多くの者を扇動できる者の影響力がそれだけ増すことになる。
法が整備されているEVE Onlineでは、投票期間中の広報活動だったり日々の啓蒙やピーアールだったりと、現実の選挙に即したような特定の公約を掲げる組織的な活動に発展するわけだが、無法の世界では”組織に準じないただの個人だが影響力のある人物”によるトンデモナイ発言、或いは十分な論拠に満たない発言でも、それが大きく燃え上がる可能性は十分にある。
それがどれだけ筋が通っているように見えて実際は荒唐無稽な話であろうとも、だ。
実例?幾らでもあるだろうが、その筆頭はDPSとHPSにしか着目しないジョブ調整方針だろうと思っている。
これは裏を返せば”白魔道士は一生弱いが、誰も気づかないし声も上がらない。上がったところでそれは十分な火勢に発展しない“状況が一生続くだけなので、私にとってはプラスなのかもしれないが。いいんだか悪いんだか。
②より過激な論調での議論が活発化する可能性がある
“よりクソデカい火を炊く”ならば、過激な発言をしたほうが良く燃える。
“ピクマの花畑が簡易表示でも表示されて視認性が悪いです”
と語るより、
“おいおい、ピクトマン子の草うざすぎるんだけど!!!!開発誰もレイド行ってないだろ!!!!!これだからエアプは!!!!!!!!!!!”
と言ったほうが当然燃え上がるだろう(と私には思う)。
いやまぁこれはただの言い方の問題なんだろうが、過激さという油の強さを皆が理解してしまえば、今後FF14の議論の形式がそういう方向性で発展し続ける可能性があるというだけでも中々危険なように思える。特にそれが文化として根付いてしまっては後の祭りだ。”FF14は民度が悪い”と思われても致し方ない文化が知らぬうちに醸造される可能性があるのだ。
ということを考えながら昨今の配信者フィーバー、それに伴う配信民度や”まとめ狩り”の是非の議論について考え、注視してみると面白いかもしれない。
以上。たまにはこっちの筆を取るのも悪くはないな。